九 施設サービスの経営は甘くない

 医療現場では、痴呆老人を除けば、家族が疲弊する介護は微々たるものである。つまり、痴呆老人を快く収容してくれる施設があれば良いのである。介護保険は痴呆老人のためにあると言っても過言ではない。

四月から介護保険で提供される施設サービスは療養型病床群(推定対象者十九万人)、老人保健施設(同二十一万人)、特別養護老人ホーム(同三十万五人)に分けられる。制度スタートまで秒読みになっても、介護保険適用の病床数が不足していると言う。

 入所者に対して定額が支払われるから、営利を目的とした施設は、最低の条件で経営されるであろう。そこでは医師も皆無に等しく、癌の予防、検診がされるわけがない。医療費給付は認められないから治療も打ち切られる。まさに、老人の墓場である。

 日本が導入に際してモデルとしたドイツの介護の現場では、すでに、制度の欠陥が出現していると報道されている。

特に施設介護において深刻な人員・予算不足から、利用者に対する劣悪なサービスに陥っているそうである。要介護者を虐待したり面倒を見ずに放置するケースが相次いで表面化している。

「ちょっと目を離すとすぐ転落するという理由で、車椅子にベルトで縛りつけられた老女のケース」とか「付き添いがいないため、何ヶ月も外の空気を吸っていないという利用者が『これなら監獄のほうがまし』と泣いているケース」などの報告がされ、「これらは決して特別なケースでない」とも介護関係者は証言している。

ドイツではこうした現象を、介護従事者自らが「介護の暴力」と深刻にとらえて実態調査や対策に乗り出しているが介護保険制度自体の構造的欠陥であり解決策は無いとさえ言われている。

つまり、要介護度4、5での施設利用者は確実に悪化して行くわけである。施設が計画の段階で想定した施設介護能力ではすぐに不足して行くのである。そのうえ、保険金給付を請求するなどの事務量は増加し、有資格者の職員確保などで、人件費は高騰を続けるであろう。施設ごとにも負担の増加と給付の低下が現われるのである。

 痴呆になった父母を、痴呆老人を詰め込んだ狭い施設だけでなく『そうした劣悪な内容環境』に棄て去るのは家族として、忍び難い。その上、痴呆老人の状態は顔が違うように、全て違う。昼と夜が逆転しているだけで、まったくおとなしい老人もいる。 

 様々な程度の痴呆老人を一箇所に入れてはならない。重い身体障害患者と痴呆老人が混在している施設病棟など想像するだけで戦慄が走る。老人の捨て場としてはならない。

一か所に集められてはならない。自然の中に、しかも若者達の中に分散されるべきである。

日本には彼らを引きうける絶好の場がある。

その役割が終わっていて目的が無くなっている国立大学付属病院、国公立病院こそが痴呆老人のお世話をすべきである。自浄作用の欠落と、医学研究と称して湯水のごとく、検査を行う医師達、保険診療の規則を知らない医師達、効率的な「診断と治療」について教育できないこれらの病院が、公務員として学生と広大な敷地の中で、老人を預かり、治療すれば良い。

遺伝子治療臓器移植など、わが身の栄達の野心に身を侵されている医学の先端医学従事者を、ストップさせるべきである。

社会保障の明らかな後退に過ぎ無い政策を国民が黙認しているのは、痴呆老人の「妄想、徘徊、昼夜逆転、汚染行為、乱暴、性的混乱、暴言」などに、対処し切れないからである。

昼夜逆転だけでも、薬物を含めた加療方法が成功すれば、家族で在宅介護が可能である。この研究も完成できない医学部は要らないのである。