七 負担と給付の公平さ

 制度実施が円滑に行われるために、多くの経過措置とか特例が発表される。述べたように、老人医療費は減少しないことが分かってか、健康保険組合に対する優遇処置が次々と発表されている。

平成十二年度に、国税が肩代わりする(四十から六十四歳までの)保険料は、約千二百六十億円で、健康保険組合、市町村国民健康保険組合などに助成される。しかし、中小企業のサラリーマンが加入する政府管掌健康保険への助成は法律改正が必要なため一切無い。

介護保険金の流用の容認も現実になった。十二年度の保険料をシステム構築に流用しても良いとなるようだ。つまり、保険料の流用―財政悪化という「保険財政」悪循環が既に起こっている。

 医療財政は黒字であった時期に、湯水のように流用された。国保、組合健保共済は医療費を還元し、使い切っている。

健保、政管(保険庁)、共済組合、国保と冠された大病院建物が無数にある。病院も赤字で巨額の支援をしている。保険者財源は単年度決算であることと、流用される事で潰れたのである。大切な保険料は法定給付以外に使用されることを厳禁すべきである。高齢者保険料の特別措置(六十五以上の保険料を半年間徴収せず、その後一年間は半額。国費七千八百五十億円)などである。

最近、ついに、老人医療拠出金を削減する政策が表面化した。

 その他の一つである「低所得者の利用者負担額軽減」は「要介護度4・5の住民税非課税世帯(全国で約七千六百人)の中で、介護サービスを一年間まったく利用しない場合には(年間一週間程度のショートステイの利用は除く)家族を慰労するため、年一回年額十万円までの金品を支給。年額十万円程度までのオムツなど介護用品の支給も助成する」というものである。あくまで市町村の判断で支給するとしている。

これに使われる千二百億円も社会保障費用から出されるべきで、介護保険料を流用させてはならない。

この「負担無き給付」に対して、「自立」と判定された国民はである。しかも、理不尽な「給付無き負担」である。

 国民が、自立と「資格無し」などと判定されるかも知れないケースに何故慌てて、申請を出す理由を国家は理解できるか?

その理由は、国民中に定着した在宅サービス(自治体が実施している訪問入浴、ディケア、ショートステイ)が(介護保険になると)無くなると広報されたためである。事実、寝たっきり状態と要介護度とは別の次元であるから、これらの在宅サービスが打ち切られても不思議でない。少なくとも、三分の一以下の給付となると言われている。

 日本固有の政策方法がここでも取られている。つまり、「市町村における高齢者に対する『入浴サービス、デーケア・サービス、ショート・ステイ』などのリフレッシュ事業がある程度成熟した時期に、新しい負担を必要とする新しい制度を横に創設し、これに加入しなければ、そうしたサービスを打ち切る」という方法である。高齢者福祉サービスの有り難味を人質にして、打ち出されてくるのは「高齢者に対する医療費抑制政策」である。現場を知らない学者達は介護介護と言いながら、議論の無い医療政策変更を強制しているのである。

 介護保険ができたために、在宅療養サービス給付が低下して世話をする家族の負担が増加するとすれば、明らかに、制度創設の理念の矛盾である。それも「在宅療養高齢者支援」という最大理念の崩壊である。

 現在老人保健施設に入っている人々は五年間継続できるとしたのであるから、在宅療養においても、「五年間は現在のレベルの給付」をすべきである。

 これらの矛盾に対して、国家はそうした家族介護を支援する対策として@市町村が介護保険法と別に家族介護支援事業を行った場合は国も助成A家族介護者のヘルパー資格取得を応援Bヘルパーとして働くことが困難な家族介護に対し、家族介護慰労金を支給する事業を助成。C健康づくりや生きがい対策などの保健福祉サービスの充実D介護保険給付の対象にならない保健福祉サービスに「高齢者在宅生活支援事業」として助成、などを追加した。

しかし、介護保険実施すら不充分な市町村にそうした事務費と人件費を負担できる余力が有るはずが無い。

 逆に、市町村による介護保険外のサービスが今まで通りの水準に戻れば、保険料を払う必要が無い。いくつかの市町村では介護保険料を高額所得者からは二倍徴収するそうである。一見、よさそうな案であるが、じつは見当外れである。高齢化した国民はそうした市町村を捨てて行くであろう。そもそも、施設入所を希望しても、実際に空があるか?

「自立と認定されても、現在入所している老人は五年間入所できる」という経過措置によって、老人たちは、実質的に終生、社会的入所を保証された。だから、新たな老人を受け入れるスペースは殆ど無い事は明らかである。現状を見ても、施設入所は快適と言えなし、市町村が住民の要望によって「今まで通りの福祉サービス」を余儀なくされるとすれば、自立と認定されても、何ら困ることは無いのである。

もっと言えば、要介護者と認定されないほうが、自由な医療機関を選択できる。

 負担と給付が比例しなければ国民は保険料を払わない。現に、国保においては、保険料を払わない人が七%もいる。免じられている人々をいれれば三分の一にも達する。保険料を納めない人々に対する処置は「介護保険を受けさせない事もある」に過ぎない。

結局、これらの情報が開示されれば、保険料を納める人々は少なくなり、制度自体が破綻する。 

このように負担と給付に歪みが見られる。