六 国民医療費は減少せず高騰する 

 最近、保険者である市町村が、システムの構築のために介護保険料を流用しても良いと、方針が変更されたそうである。

現在でも、高齢者に対する公的な福祉対策は「保健所を拠点にした国の政策そして市町村独自の政策」という二重構造を持っている。民間の医療機関が在宅・訪問看護体制を独自に持っていることや、悪名高い縦割り行政のために市町村においても二重構造があることを考えれば、少なくとも四重構造を持っている。

そして、これらにはほとんど連携が無い。

これに、介護保険制度が加わるのである。「民間企業の参入により、サービスの幅が広がる」という理由で。しかし、潰されてしまうのは診療所・病院が進めて来た「在宅訪問看護体制」だけである。

かかりつけ医、病院として走り回っていた訪問看護部分を、民間を含めた業者たちが、激しく醜く取り合いするだろう。

「ケアプランナーとケアマネジャーが結託して要介護者を囲い込む」現象が既に現実の物となっている。

新たな負担として、四兆三千億円を毎年徴収されることになるが、国民は何を得ることができるのか。

介護保険法施行に伴う「十二年度の医療費予算の変化」を見ると、介護保険に移行する金額は八千二百三十六億円に過ぎず、国庫負担は四千八百二十八億円が減少するに過ぎない。

これも、机上の空論に終わる恐れが強い。何故ならば、「在宅・訪問看護」からの収入が無くなった大病院は医療保険からの収入を増加させようと必死になるからである。

「なんでもあり」の戦国時代になり、大病院の堪忍袋が切れると、三兆円くらいを上乗せて稼ぐのは容易なことである。悪徳病院の代名詞であった「病院前のサテライト診療所設立」など無数に考えられるからである。

自立と認定されたたり、認定を受けなかった人々は、大手を振って医療を受ける事ができる。社会的入院という非難言葉もなくなり、経営のために態度を改めた病院に入院することができる。

 手厚い医療を受けても、実際には患者負担は軽い。健康保険組合、共済組合などの家族では還元されて無料同然になる。

病院は満床にしなくては倒産するために、入院の基準を変更する。

現在でも、ドックを始めとして、高額な心カテなどの諸検査、ペースメーカー埋め込み、肝癌潰しなどの固定客を無数に抱えているのである。高額あるいは先端医療の保険適応は無数にあるから、これらのサイクルを早めるだけで良い。入院待ちの期間が短くなるだけである。 

金に困った病院ほど恐ろしいものは無い。結局、「平成十二年医療費高騰」という発表になるであろう。