四 老人や特定疾病患者は医療を受けてはならないのか?

 この数年間、毎年二月になると、「老人保健施設での、インフルエンザによる何千人もの老人の孤独な死亡」が報道される。

結核の院内発生であれば、数人でも事件として扱われるのに、何万人が死亡しても、「対策は手洗いとウガイの励行」である。

原因に迫るマスコミも人々もいない。「著明な脱水になって、命辛々退所してきた老人」を数多く、医療機関は治療している。

施設における早期治療の欠如が悲しい死亡の原因であることは、明らかである。百人に一人という割合の医者の巡回で対処できるはずが無いけれど、だからと言って、軽症の段階で入院のために次々に退所させていけば、施設は潰れてしまう。有り合せの薬剤で何日間も様子を見るのであろう。的確でかつ迅速な対処がないために突然生命を終わらされる老人を考えると哀れで仕方ない。

この原因は、老健施設で給付を受けている入所者は、医療保険の給付を重ねて受けることが禁じられていることに起因する。

 介護保険制度創設の最大の目的は、老人医療費削減であるか

ら、医療保険と介護保険の双方からの給付を厳禁しなければな

らない、として、行政は 昭和六三年、健医老老Rで「老人保

健施設は常勤医師が配置されるので、みだりに往診を求めたり

通院をさせることは認められない」を基本姿勢とした「長く眠

っていた法律」を昨年より試運転させ始めた。

両保険の重なりを厳禁とした(優しい表現の)法の部分を引用する。

@医療保険各法及び老人保険法

もっぱら要介護者を入院させる療養型病床群等である指定介護療養型医療施設の病床におけるサービス、老人保健施設におけるサービス、訪問看護などの在宅医療サービスの一部で、要介護者等に行われるものは、基本的に介護保険制度の給付に移行します。

要介護者は介護保険の被保険者であるとともに、医療保険の適応を受ける者であるので、疾病の治療などのために医療保険給付を受けることが出来ることは言うまでもありません。

ただし、介護保険と医療保険とで給付が重なるもの(例えば、訪問看護や居宅療養管理指導)について、要介護者が給付を受けようとするときは、介護保険の給付が優先し、介護保険で提供された給付に相当する部分については医療保険の給付は行われません。

老人保健制度との関係に置いても両制度の給付が重なり合う場合には、介護保険法による給付が優先します。

もっぱら要介護者を入院させる療養型病床群等の指定介護療養型医療費施設に入院している者については、原則として医療保険からの給付は行われません。

手術等の急性期治療が必要になったときは、急性期病棟に移した段階から医療給付を受けます。

介護老人保健施設に対する給付は、老人保健法から、老人保健施設療養費に関する規定が削除された結果、経過措置的なものを除き、すべて介護保険制度からの給付が行われます。

老人訪問看護についても、原則として、介護保険制度により給付が行われます。

A老人福祉法との関係

同法によって規定されていた、ホームヘルプサービス、デイサービス、特別養護老人ホーム等のサービスのほとんどが、介護保険法による給付に移行します。

養護老人ホームにおけるサービスについては、従来どおり老人福祉法に基として行われます。

日本医師会でも、日医ニュースで「介護保険と医療保険の区分け」を「介護保険制度下における医療サービスの扱いについては@介護サービス受給対象者に対しても、医療サービスの受給は妨げられない。A急性期医療が必要になった場合、医療保険から給付を受ける。したがって、居宅サービス・施設サービスを問わず、介護保険給付を受けている方であっても、必要な医療サービスを受給することが可能である」と表現している。

池上氏ら医療専門家も「公的介護保険を施行する際には、今後、医学的側面が反映されるように法律面、運営面において十分配慮し、特に医療保険と介護保険の間にははざまが生じないように留意すべきである。介護保険の対象となっても、骨折や肺炎などの治療のために医療を必要とする確率は高く、むしろ国民の中では、医療保険からの給付を必要としている人々が多いことに充分留意する必要がある」と、あらゆる立場をも擁護するために誠に難解な表現をしている。

 このように「高齢者の介護に疲れ果てた家族」を支援するために創設された制度が何時の間にか「老人の医療給付」を制限しようとする方向に進んでいるのである。

 しかし、国民や現場からみれば、介護保険で給付を受けようとする老人が抱えている疾病は、骨折とか肺炎ではないのである。高血圧であり、糖尿病であり、精神疾患を始めとする「ありとあらゆる疾患」である。私の診療所からも、老健施設入所後は、持っているだけの薬剤が終わったら、薬剤なしになってしまう老人が何人も出始めた。

分裂病、高血圧、糖尿病、不眠、胃潰瘍数えると無数の疾病に対する治療を打ち切れというのであろうか?

 高度の要介護度と認定された老人と特定疾病の人々は、介護の世界に入る時に、治癒を目指した医療の世界に決別しなければならなくなり、すべてを備えた施設が存在するわけが無いので、確実に死を早める世界である。ちょっとした風邪で死んでしまう場所である。正常老人むけ緩和施設・老人捨て場である。

 しかし、そうした何百万人の国民への医療給付は不必要とするならば、過去そして現在の、加療・治療とはなんであったのか?

医学教育そして医療政策は何であったのか?医療機関はなにをして来たのであろうか。

 「脳梗塞、動脈硬化に効果あり」として、この二十年間、国民は何十兆円の脳循環改善剤とか脳代謝賦活剤を医師から買わされ続けて来た。そして、最近、これらの薬剤は効果が無いと決められ、薬剤登録を抹殺された。老人病院では痴呆老人は月に一度CT検査をされる。老人だけでなく、無駄なCTで国民は無駄な被爆をして医療費を使った。また、高脂血症の薬剤も何兆円も医療費を掠め取って行った。タバコを止めない人々には何の効果があると言うのだろう。数え上げると限の無いこれらは小さな記事で済む問題では無い。

 「老人医療への拠出金が医療財政を破綻させるとして、介護保険制度が生まれた」とすれば、この数十兆円さえなければ、この新制度も必要無かったのである。つまり、医療改革の失敗というよりも、老人を食い物にした医療費によって、作られた制度とも言える。

 脳循環・代謝にたいする薬剤が無効薬と判定されたように、老人への薬物投与そのものが無効と結論されたのか?次節で掲げる特定疾病の薬剤も無効なのであろうか?

六十五歳以上の障害者は、医療行為を止めて、介護で充分だというなら、全ての老人に、医療は認めてはならない。「介護保険給付を受けているから」というだけでは、内容が矛盾する。

 老後の最大不安要素である介護を社会全体で支え合うことを目的として、高齢者の疾患の重症度ではなく、「手間の掛かり具合」を認定して、保険給付をする制度であったのに、何時の間にか「医療と介護の一体化」に変化し、老人や特定疾患の国民を医療保険給付から離そうとしている。

これらの事は内科疾患だけではない。である白内障の手術を始めとするありとあらゆる「老人における福音と映る医療内容が、四月からは激減どころか、要介護者には適応されないと考えられる。

このように、国民の合意が得られているとは到底思われない内容が関係者の中で決定されているとしか思われない。

特養とか老健施設での老人の孤独で無残な死が、何十万人続けば、国民は自分のために動き出すのだろうか?