十一 自治体の混乱

 誰もが「二十一世紀の福祉・医療」などと高言するが、この先百年のことを述べる能力を誰が持っているであろうか?大切なのはこの数年間である。そうした無意味な論議が横行するのは、現在の与えられた問題を解決できないために国民の目を逸らそうとしているのである。

 介護という単語すら国民には共通の認識もないままに、介護保険が施行される。対象者が不確実であるに加えて、選定方法すら不鮮明である。情報の公開と言われカルテすら公開される時代に逆行するような証言もある。規制緩和で、毎年四兆三千億円の保険料を民間業者に解放すれば良い分野ではない。 

 市町村単位では高齢者対策は機能しないとして生まれた介護保険にも拘わらず、結局市町村が保険者となった。

三千二百の自治体の長は自らの政治生命維持のために、認定申請をしない住民や自立と判定された人、そして、介護保険からの介護サービス量に怒りを持つ住民に対し、現在の水準より福祉サービスを後退させることはできず、独自の福祉サービスの追加を余儀なくされる。

つまり、介護保険と独自の福祉サービスを抱え込むこととなり、複雑怪奇な多重構造となり、現場の混乱は収拾不可能である。

 なんらかの介護を必要としている高齢者は現在、約二八〇万人で二十五年後は五二〇万人と見積もられている。しかし、「五」で述べたように 保険が適用されるべき国民の数は見当もつかないと言うべきである。

しかも、この制度が「社会的入院を排除するための施設入所」の制度に過ぎないために、在宅における老人たちへの給付について、まったく議論されていない。「どういう老人に、適用するか?」や「要介護度の判定の基準は何か?」そして「現在そして未来の医療給付との関係は?」という根幹の部分においても議論が無い。

 そうした苦境にある国民が「なにを望むか?」について委員たちは知識を持たないからである。

最近、要介護度4と認定された家族から「三十万円をどのように有効に使えば良いか」について相談を受けた。別の家族からは「お金は沢山おりるらしいが、今まで、月二週間受けていた、ショート・ステイが六カ月で十四日だけと言われた。お金を貰っても使えないのではなんの制度か!」五月ころになれば、国民の「これらの勘違い」が怒りに変化するであろう。

国は、「現在入所している老人は、五年間、自立であろうと、入所を継続できる」という経過措置に「現在居宅において受けている福祉サービスは五年間継続できる」を加えるであろう。

経過措置による施設介護の大混乱が、居宅においても広がるであろう。

 国民の間には不信感が蔓延し始めている。

そのために、認定を求める国民と自治体との間に言い争いが絶えないであろう。繰り返される再請求から始まり、際限の無い市町村の事務量増加、夥しい訴訟と行政側の敗訴、保険料支払い拒否が続き、要介護者の増大は介護サービス単価の低下を招く。介護労働者は激減し、業者は撤退とか倒産するであろう。

 このように、医療費の高騰を招くだけでなく、徐々に育ち始めた高齢者福祉政策を破壊した状態で、介護保険制度はそう遠くない時期に立ち往生するであろう。社会保障の現場は焦土と化すであろう。