一 認定作業で大混乱

 国民の認定申請、自治体の調査・判定・認定作業が動きはじめた頃より、大きな混乱が出現して、全ての人々が介護制度の多くの欠陥に気付き始めた。

 手本とされたドイツでは、かかりつけ医とケア専門家による協議だけで三段階に分けられたランクが決定され、続いて「その老人に最適なケア態勢」が決められる。

 わが国ではわざわざ、医療面では非専門家の市町村の職員が家庭を訪問し、全国一律の質問を行ない、コンピューターにかける。

 最近、全面的介護(混乱を避けるために、介護という合成語を使用)で生活している痴呆老人が聞き取り調査を受けた。突然の調査員の訪問に、緊張した老人は「生年月日をはじめとする質問」に「できます。できます」とテキパキと答えてしまった。

要介護認定で「自立」と見なされれば介護保険のサービスは受けられなくなる。「自立だ」と、がっかりしてしまった家族が、その直後に質問したら、調査員の訪問すら憶えていなかった。

こうした光景は全国で見られる。読売新聞の『一次判定の信頼性は?』という記事でも「(徘徊やひどい物忘れなどの)問題行動が『ときどきある』よりも『ある』の方が判定が低くなるケースがあった。当事者や家族にとっては深刻だ。そもそも、要介護認定は、高齢者の病状の重さではなく、介護にかかる手間を測るものだ。従って、寝たきりの人よりも動ける状態の人の方が認定は重くなるとされている。また、一人暮らしのお年寄りからの聞き取りが、人によってはかなり難しいと言うことだ。ほとんど質問に答えてくれなかった人もいたという。一般的に、お年寄り自身は軽度に見られたいという意識が働き、家族の方は重く判定してもらいたいという心理がはたらく。痴ほう症によっては、一日のうちでも意識が鮮明な時とそうでない時とで大きな開きが出る。非専門家による一時間余の調査と(施設介護の実態に基づいて作成された)一次の判定ソフトで、それらをどこまで正確に反映できるか?そうした人を的確に判断できるのか?という指摘もある。調査員の習熟度によってもデーターがかなり違ってきそうだ。」と述べている。現場からは、身体機能ばかりでなく、家族との関係や一人暮らしかどうか、さらには、その人の人生観、生活態度なども考慮しなければ、必要な介護レベルは判定できないとの声も出ている。

 「コンピューターを認定の中心に据えたのは、情実が絡まない『公平、公正さ』を求めたからだ」と厚生省は説明している。

しかし、在宅で家族によって全面的な介護を受けていた場合の要介護度を決定する物差しが無いという批判を受けて、厚生省はコンピューター判定よりも二次判定を重視すると方針を変更した。

しかし、二次判定会においても様々な不協和音が起こっている。

一次ソフトに添付される意見書についても『かかりつけ医は、重症である事が判定会で分かるように書くであろうし、一見の医者は冷淡に書くであろう。』などと疑われる始末である。「医師会の認定手引きに対する異論・一次尊重を望む行政側の姿勢・かかりつけ医の意見書に対する不信感」等が「見たことも無い老人の介護必要度を短時間で判定しなければならない」事に絡み付いて、関係者は大混乱である。証拠として残すための録音も、頻繁にストップされて「オフレコの討議」に切り替えられている事は公然の秘密である。

こうした断裂されたテープなどは、予想される訴訟などの際には、逆に委員たちの公正さを危うくするだけである。

当てに出来ない資料を元に、短時間で、六カ月後の要介護度を判定できる筈がない。

このように認定作業という入り口で、既に大混乱が起きている。

昨冬、インフルエンザで老健施設で何千人もの死者が出たとき、テレビにはうがい手洗いに殺到する老人の映像があった。今考えると、あの老人達は全て「自立」と判定されるであろう。

抗議を受けて「現在入所中の老人は、自立でも五年間は継続して入所を続けることができる」という経過措置を作った。このために「完全な自立グループの社会的入所」を認知してしまったのである。

社会的入院廃絶という制度創設の理念の一つが崩れてしまった。 

 もとより、老人の身体障害度は、日単位で変化する。自立と判定されたその夜、要介護度5になることもよくあるケースである。

『お母さん、今度調べに来たら、要介護者になれるように、きちんとしてくれなくちゃ困りますよ』という悲しい話も、ヒトの「したたか」を示している。

実情と違う判定が出れば、国民は当然、すぐに再審査を請求するであろう。 

今までは、こうした(互いを疑い合い、双方とも傷付く)認知作業に関する経費とか事務労力はまったく必要が無かった。

 すべてが、「医療機関は老人を必ず食い物にする」という医療機関性悪説によるとすれば、精神的屈辱感を表明しない医師たちに呆れるばかりである。誠に、悔しい。

このように、後に述べる「負担の増加と給付の低下」だけでなく、制度そのものについて「(社会保障制度において一番大切な)国民の理解と同意」が得られていない。